若い才能や

時間やその他諸々がさ。
目の前にあるであろう境界線を知らないのならともかく、知りつつも対処療法しか取れないのは見ていてもどかしい。
例えば荒唐無稽な案があるとする(昨日のパラグラフ罠なんていい例('A`)よかないが
必ず否定する方向でしか技術的議論がなされない現状。
荒唐無稽ながらも仮に数分の一でも可能にするとしたらどのようにするかという建設的議論がされているかというとそっちが疑問。
できない理由を探す議論よりはやってみる方法を探す議論の方向に行けば少しは前へ進めないかなと、ふと思うのだ。